アレッポの石鹸職人のバラカート社代表に内戦や被害そしてトルコへの避難までのインタビューをまとめました。
アレッポからトルコに避難した時は
避難した当初は知人もなく言葉が通じない為、自分がおかれている状況に怒りを覚えました。
家や工場だけでなく人命まで奪うそんな祖国に留まることはできず、家族を守るためその一心でした。
住む家を借り日々時間が過ぎるだけの無気力な生活を送っていたところ、クロスロードトレーディングから連絡がありました。
石鹸の製造の依頼でしたが最初は断ったものの、私達には出来ることは石鹸を作ることしか残されていないと考えるようになりました。
トルコでのアレッポ石鹸第1号
無理だと思った石鹸工場は間借することから始め試作品の石鹸を作ってみたところ、想像以上に品質がよくアレッポの原料と何ら変わらないと実感しました。
それがわかってからは日本に輸出するための計画を前向きに考え準備し始めました。
そして日本に輸出するためのトルコでの石鹸第1号が実現できました。これはトルコの人々の優しさと避難している多くのシリア人が手伝ってくれたお陰だと思っています。
皆さん本当に協力してくれました。
アレッポとトルコ何が違う
石鹸の原料に関しては、アレッポは内戦が始まってからは原料の調達が困難でした。
石鹸を製造出来てもラタキアの港まで石鹸を輸送するのが非常に危険だったこと、何といっても工場を破壊されたらそれまです。
元々ローレルオイルはトルコ産がシリアに多く出回っていたので品質などは把握していました。
オリーブオイルにしても国は違ってもさほど遠くないため気候も変わらない地域です。
同品質で石鹸作りに何ら問題はありませんでした。
その他石鹸作りには欠かせない材料等も楽に調達でき、正直アレッポで作っていた頃よりもいい石鹸が作れていると感じます。
本当にありがたいことです。